【堺市美原区】大保には昔、多くの鋳物師が住んでおり「大保千軒」と呼ばれていたその始祖の碑
堺市美原区を走る国道309号線沿い・大保の辺りに「日本御鑄物師發祥地」と彫られた石碑が立っているところがあります。敷地はフェンスで囲われており、奥に入っていくと、「旧跡 鍋宮大明神」と彫られた碑が立っています。由来が書かれた看板は横にあるのですが、風雨にさらされ印字が薄くなって読みにくくなってしまっています。ほとんど読めないので補正してみました。おそらく同じ内容が書かれている堺市の「河内鋳物師のひみつ」というページによると、美原区には昔、鋳物の工房があって、平安時代の終わりから室町時代にかけて、大保(だいほ)には多くの鋳物師が集まり住んでいたそうです。鎌倉時代に東大寺の大仏修理にも参加するほか、全国各地のお寺の鐘にも製作者である河内鋳物師の名前が刻まれています。そのうち、河内国(かわちのくに)を離れて地方に住むようになり、各地で鋳物の技術を伝えたそうです。鍋宮大明神は河内鋳物師が自分たちの始祖と仰ぐ石凝姥命(いしこりどめのみこと)をはじめ、初めて鋳物を作ったといわれる鍋子丸(なべこまる)をまつったものと言われています。ちなみに鋳物師は「いもじ」と読みます。
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